ドラえもんから芽生えた日本への興味
5歳の頃から、ドラえもんをヒンディー語で見ていました。それは日本との接点の始まりと言えます。そこから、いつかヒンディー語に翻訳されたアニメではなく、日本語原版のアニメを鑑賞することができればと思ったので、日本語を学ぶ意欲が生まれました。そこで、ユーチューブで日本語学習のビデオを探し、あいさつ、日常会話から日本語を勉強し始めました。
その時はアニメを見ながら日本語を覚えたので、「学ぶ」という意識がなく、とても楽しかったです。
高校生になると、鬼滅の刃、呪術廻戦などのアニメを見て更に夢中になりました。そして、私は高校生の時から、ヒンディー語でアニメを見ることをやめ、日本語での鑑賞を始めました。友達と一緒に日本のアニメの映画を見に行く時、翻訳を見ないままで日本語の会話がわかったので、友達を驚かせました。字幕なしで日本語原版の映画作品を鑑賞できることで私は大きな達成感を得ました。
日本語の勉強を通じ、楽しさを知れば、何事も難しいことではないということを感じることができました。
全ての希望を失ったところ、来日面接の案内が来た
FAST OFFER Internationalに登録する前に、私はある程度日本語を身につけていたので、東京にあるIT企業に選ばれました。それ以前は、日本で働くことや日本企業に入ることに何の希望も抱いていませんでした。その会社のポジションは私の専門に合わなくても、日本に行くチャンスだと思い、受諾を決めました。
しかし、その企業で研修を6ヶ月間受けましたが、雇用契約書をなかなか送ってもらえませんでした。その上、研修を受けても社内会議に参加できなかったり、疎外されてしまったりするなど、その会社に対する不信感が募っていったため、他の企業に応募してみようと、方向性を転換することにしました。
キャリアにおける悩みは研修の日本語担当の先生と相談し、先生からFAST OFFER Internationalを紹介され、登録することができました。
FAST OFFER Internationalに登録したと言っても、全て順調に進んだわけではありません。今でも覚えていますが、FAST OFFER Internationalスタッフとの面談後、私は4月26日にビデオを撮り、FYPなどの書類を揃えて提出しました。期待が膨らむ一方で、それから2週間FAST OFFER Internationalからの返事が一切なく、不安が沸き上がりました。書類提出後は日本ですぐゴールデンウィークに入るため、ASIA to JAPANが休みだったこと後になって分かりましたが、当時はとてもがっかりしました。
その後、私は期末試験に没頭したため、FAST OFFER Internationalからの「あなたのプロフィールは処理中」というメッセージを見落としてしまいました。期末の忙しさから解放され、やっとFAST OFFER Internationalのメッセージに気がついた時には、すでに期限が切れ、応募できなくなっていました。
全ての希望を失った時、FAST OFFER Internationalから「You have a chance to come to Japan for free」とのメッセージが届きました。その時の気持ちは言葉で説明することができません。信じられないほど嬉しかったです。
来日型面接で失意のどん底に落ちた
FAST OFFER Internationalの来日型面接でやっと憧れてきた日本に行くことができました。日本で過ごした時間を大切に思い、飛行機の着陸から東京での散策まで、楽しい時間を全てスマホのビデオに収めました。
来日型面接の前に、面接にも何回か参加したことがありますが、落ちてしまいました。なぜならば、面接の受け方に問題があったからです。私は当初、面接というのはただ普通の会話だと思っていました。しかし本来面接とは、自分の話したいことと面接官の質問の意図にあるギャップを埋めなければなりません。ようやくそのことを意識した私は、友人たち、メンターさん、先生などあらゆる人に話し方を確認して、練習を重ねました。そして、FAST OFFER International面接対策の日本語授業にも積極的に参加し、弱みを改善するように努めました。
私の専攻はエンジニアリングです。私が作った飛行機はアメリカで行われたワールド競技大会で10位に入賞しました。しかし、最も情熱を持って勉強してきたのはエンジニアリングではなく、日本語です。私は大学で日本語クラブを運営しており、200人の学生に日本語を教えています。部室は、壁の一面がアニメのポスターで飾られ、向こうの一面はN5〜N1の漢字で埋め尽くされました。私がどれほど日本が好きで、どれほどの苦労をかけて日本語の勉強ができたのか、ここから窺えると思います。
しかし、残念ながら、来日型の面接で内定に至ることができませんでした。全力を尽くして面接会に臨んだのに、なぜ内定をもらえなかったのか、その時の私は本当に失意のどん底まで落ちてしまいました。大好きな日本語を見ても集中できなくなり、日本語をやめてしまおうと考えたこともありました。
失敗でも大事な経験、そして成功の糧になる
インドに帰国後、またFAST OFFER Internationalから今の内定先の面接の案内が来ました。今回は製品設計と開発に関するポジションが私の専門にピッタリあっているので、私がずっと憧れてきた仕事です。今まで積み重ねた経験を活かし、本番の面接に向けて準備しました。
一次面接で、面接官から「日本語が上手ですね」「プロジェクトが素晴らしい」と褒めていただけたので、その後の面接に自信を持って参加できるようになりました。
面接後、私はすぐに「どこが良くできませんでした」とメンターさんに相談しました。メンターさんからのフィードバックに基づいて、直ちに修正・アップグレードすることが面接から得た最大の知恵だと思います。
二次面接ではメンターさんときちんと練習し、逆質問も用意しました。逆質問をした際に、面接官に「素晴らしい質問」だと評価され、気持ちよく面接を終えることができました。「内定です」と言われた時、全ての努力が報われ、嬉しかったです。母に伝えたところ、母は私よりも、涙が出るほど喜びました。
心が折れそうな時でも情熱を捨てないでほしい
私は、夢を持っていても、なかなか叶えることができず、心が折れそうになっていました。アジアの半分を跨いで日本に行けたのに、日本で内定をいただけませんでした。それは想像するだけでも辛い経験でしょう。一度諦めようとしても夢に向かって立ち続けていたからこそ、内定に至ることができました。あなたもそのように挫折にぶつかっているのであれば、心で燃える情熱を忘れないでほしいです。
自信と情熱を持って面接に臨んでください。他はFAST OFFER Internationalに任せてよいです。FAST OFFER Internationalでの就職活動を振り返ると、先生やメンターさん、友人などがいつも背中を押してくれました。このように温かく支えられた経験は就職の成功に不可欠です。助け合いを引き継ぐためにも、他の人も支えたいです。できれば、運営するクラブの200人の学生も日本での就職を支援したいです。ASIA to JAPANにも相談しているところですが、卒業後、私の学生もすぐに日本に来られるチャンスを作りたいです。