「内定者体験記」インド プネ大学 土木工学

PROFILE

国籍・地域インド
性別男性
大学プネ大学
学部土木工学
内定先企業土地の仕入れからプランニング・施工・販売までを独自の一貫システムによって行い、「品質」「価格」「安心」という価値を提供を提供する日本企業

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志の芽生え 

一年前、もし誰かが「君は日本でのキャリアに向けて準備をし、日本語でコミュニケーションしているよ」と教えてもらったら、私はきっと笑っていたと思う私の日本への旅は一直線には行かなかった逃したチャンス、ふとした気づき、そして自分の可能性を揺さぶるような集中的な成長の期間で満ちた道のりだった 

2024年に大学を卒業した私は、その年を「終わり」でもあり「未知の始まり」でもあると感じていた。他の工学生のように、私の目の前には就職活動という課題があった。最終学年の頃、多くの日本企業が私の大学を訪れてきた。しかし同時の私は選考に参加することができなかった。国際的な仕事のチャンスが目の前を過ぎ去っていくのを、ただ見ていることしかできなかった。悔しさはあったがその瞬間、私に一つの「種」を芽生えさせたのだ日本は地図上にある場所ではなく、いつか自分が働き、未来を築く場所になり得るのだと気づかせてくれた。 

 

転機:エンジニア職を目指してゼロから日本語を学ぶプログラムへの参加 

卒業後、インターンシップを始めた私は若手社会人としての日常に落ち着いていた。しかし、日本への夢は決して消えなかった。日本での就職への道に戻る方法を探している自分に気づいたのだ。そんな時ASIA TO JAPANのFAST OFFER Internationalを発見した 

このプログラムは第二のチャンスのように感じましたが、大きな条件があった。日本語を短期間で習得しなければいけないことだ。「ゼロから」とは文字通りのゼロを意味している「ありがとうございます」の発音すら知らなかった人間だ。「いち、に、さん」の意味も全く理解できなかった。日本語の文字体系はとても美しくも解けないパズルのように写った。登山装備もなく山のふもとに立ち、雲に隠れた頂上を見つめているような状態だった 

 

120日間の挑戦:土木エンジニアとして日本で働くためゼロから日本語を身につけた道のり 

私の本格的な旅は、4ヶ月間の集中日本語プログラムから始まった。振り返ればあの4ヶ月はぼんやりとひらがな、カタカナ、そしてやがては恐ろしい感じの世界へと続いていた。 

カリキュラムは私がこれまで経験した学問環境とは異なっていた。国際交流基金の教科書から単語をただ暗記するだけではない、完全に没入することを求められた。私たちはブートキャンプのような精神状態に追い込まれた。毎週末には進捗確認のテストが行われ、週ごとに授業についていけなければ情報の洪水にすぐに飲み込まれてしまっていた。 

しかし訓練で最も重要なのは教科書ではなく、人との交流だった。ASIA TO JAPANは私たちと会話する日本人ゲストを招いた。初めてネイティブスピーカーと向かい合った時、頭が真っ白になったのを覚えている。これまで学んだ文法はすべて蒸発してしまった。しかし、まさにそのセッションこそが魔法が起きた場所だった。私たちはここで話し方、間、口癖のような「自然な」日本語を学んだのだ。 

私は言葉のニュアンスに夢中になった。「そうですね」と言った表現に心を奪われた。この言葉が好きなのは、会話においてどんな架け橋にもなるからだ。してに真剣に向き合っていることを示しつつ、考える時間を与えてくれる。それから「すみません」はたった一つの言葉で「ありがとう」「失礼します」「ごめんなさい」を同時に意味する点に魅了された。それは私の語彙における万能ナイフだった。 

 

文法を超えて:日本語習得に必要だったマインドセット 

数週間が数カ月とうるち変わるうちに、私の内面で何かが変わった。単に英語の考えを日本語の言葉に翻訳する方法を学んでいるのではない。新しい考え方を学んでいるのだ。 

このプログラムでは私に、日本人の規律意識と改善の概念を教えてくれた。インドで育った私の価値観が日本の文化に見られる敬意と勤労倫理と深く共鳴していることに気づいたのだ。空手の経験で規律意識を垣間見たことはあったが、日本語教室でこそ私は真の可能性を開花させた。 

私は単なる給与や技術のために日本で働きたいわけではなかった。調和、時間厳守、お互いを尊重する社会の一員になりたかったのだ。この気づきが過酷な勉強時間を好きでやる時間に変えた。面接のために勉強していたわけではない、私は新しい人生のために学んでいたのだ。 

 

土木エンジニアとして日本で働くために、ゼロから日本語を習得できた4ヶ月集中講座の10の特徴 

  1. ひらがなを短期間で習得 
  2. 完全没入型の学習環境 
  3. ブートキャンプ式のマインドセット 
  4. 学習意欲を維持する週次テスト 
  5. 日本語ネイティブ講師との交流 
  6. 改善をし続ける 
  7. お互いに刺激練習できる仲間 
  8. 日本文化に関する学び 
  9. 模擬日本語面接 
  10. 思考の変化 

 

面接という試練 

11月が訪れる頃には正念場が迫っていた。日本語を一言も話せなかった私が専門的な技術面接をすべて日本語で行われなければいけない状況に。プレッシャーは計り知れなかった。何年も日本語を学んだ学生たちと競う中で頼れるのは4ヶ月の「奇跡」だけだった。 

三社から面接機会を得た私は、恩来とはいえ面接官の前に立つと先生方への感謝の念が込み上げた。先生たちは私たちが単なる「話せる人」ではなく「意思疎通できる人」になるよう多大な努力を注いでくれたのだ。面接官が私のエンジニアの背景や志望動機について質問すると、言葉が自然と流れ出した。 

完璧ではなかったが本物だった。面接官が頷くのが見えた。彼らが求めていたのはN1レベルの流暢さだけではなく、120日間でゼロから言語を習得できる精神と決意だった。企業は、FAST OFFERプログラムによって私たちが身につけた粘り強さを求めていた。 

 

旅の振り返り 

日本行きが決まった知らせを受けた時、私は現実離れした感覚に襲われた。4ヶ月前の日本語で10まで数えられなかったインターン時代の自分を振り返ると、適切な手段と明確な「理由」を与えられれば人がどれほど変われるか身に染みて感じた。 

今、私がかつてそうだったように山が高すぎて登れないと感じている人たちへ:新しいことに時間はかかるものだと覚えておいてください。しかし、その時間を惜しみなく活用すれば結果は今のあなたが想像もできないものになるでしょう。 

ASIA to JAPANとHiramekiチームには深く感謝しています。彼らは単に単語を教えてくれただけでなく、以前はどうやって辿り着けばいいか分からなかった夢の場所へ続く架け橋を与えてくれました 

日本はかつて、大学の就職活動で逃した「もしも」にすぎない遠い存在だった。しかし今、それは現実になろうとしている。私はこれから飛行機に乗り、新しいキャリアを始める。そしてその手には高額の学位だけではなく、4ヶ月の鍛錬で身につけた忍耐力、カタカナに苦戦していた私を信じてくれた先生たちの声、そして「すみません」という言葉に込まれている力だ。 

ゼロから会話レベルへ至ったこの道のりは、確かに奇跡だった。しかしそれは、一文字一文字の漢字を積み上げて築かれた奇跡なのだ。