幼い頃を過ごした日本
私はエジプト生まれですが、両親が東北大学の大学院学位取得のため日本に進学したため、幼い頃は日本で育ちました。2003年から2011年の間私は宮城県の仙台で過ごし、日本の保育園と公立小学校に通いました。日本の小学校で日本語を学びつつ、家ではエジプトの教育カリキュラムに則ってエジプト語を学んでいたので、どちらも母国語のように習得することができました。小学4年生まで通った日本の小学校ではたくさんの思い出を作ることができました。特に印象的だったのは初めて友達の家でゲームをしたことです。当時小学校の校長先生が「ゲームは1日10分まで。」と厳しく、家でもなかなかゲームをさせてもらえませんでした。そのため、友達が「プレーステーションをしよう!」と誘ってくれた時は本当にワクワクしました。当時使っていた黒色のランドセルは大切な思い出として今も残してあります。
また、私は帰国直前に東日本大震災を経験しました。当時私たち家族は2011年3月末にエジプトに帰る予定で、荷物もまとめていたところでした。そこに2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。当時住んでいた仙台は震源地の三陸沖から近く、震度6強のとても大きい揺れを経験しました。その時は家に帰宅しており、母と妹が側にいたため安心でしたが、とても怖かったことを覚えています。両親の研究所であった東北大学の建物は崩れ、火災も発生していました。大学校舎には幼い頃からの思い出が沢山あったため、その様子を見た時にはとてもショックを受けました。私たち家族は近隣の学校に1週間非難し、その後山形に移りました。しかし、山形では余震の影響が大きく、電車などが止まってしまうことが相次いだため、その後大阪に移りました。そして大阪でエジプトの教育認定試験を無事に受けることができ、エジプトに帰りました。日本で過ごした最後の期間に経験した震災は厳しくて大変な思い出として残っています。
このように私にとって幼少期の8年間を過ごした日本での思い出は忘れられるものではなく、自分自身のアイデンティティにも影響しています。私は両親がエジプト人で見た目も日本人らしくはありませんが、自分の性格や考え方は日本人らしいところがあると思います。日本人と話しているとどこか落ち着きますし、日本は自分にとって第二の故郷だと感じていました。一方で、日本人と仲良くしたくても私の見た目から「お前は日本人じゃない。」という扱いを受けたこともありますし、エジプトにいたらエジプト人らしくない性格や振る舞いの点から外国人だと扱われたこともあります。このような複雑なバックグラウンドから、自分が何者なのか分からなくなる時もありました。
また、現在のエジプトの政治や経済状況も鑑みて、将来は日本で働いて生活したいという思いは消えませんでした。
ASIA to JAPANとの出会い
ASIA to JAPANを知ることが出来たのは本当に運が良かったからでした。
2023年6月に大学卒業を控えていましたが、エジプトトップの大学ということもあり、とても勉強が忙しくて5年間休む暇が全くありませんでした。実家から大学まで遠かったため一人暮らしをしており、家族とも一緒に過ごす時間が少なかったです。そのため、かねてから大学を卒業したらそのまま就職や大学院進学はせず、1年間程家族と一緒に暮らしてゆっくり休みたいと考えていました。
そう考えていた矢先、日本文化を広めるエジプトのコミュニティがFacebookでFASTOFFER Internationalについてシェアしているのを見かけました。その時はまだ日本での就職活動について現実的に深く考えてはいませんでしたが、日本語授業を無料で受けることができ、もしチャンスがあれば日本で面接の機会を頂けるのはとても良いと思い登録を決めました。
そこで2023年5月からASIA to JAPANの日本語授業を取り始めました。日本語授業は世界中の学生が一緒にオンラインで受けるもので、内容もとてもためになるものでした。そして、ASIA to JAPANの社員さんと何回か面談をした後、複数の日本企業にオファーを頂き、そのまま6月の面接会に参加することになりました。その時は大学の卒論の提出も迫っており、面接対策や入国準備などを両立して行うのはとても大変でしたが、日本にもう1度行けるということだけで頑張ることができました。
対面の面接会参加
6月の面接会に参加した時は、私にとって12年ぶりの日本への上陸でした。日本にずっと戻りたいと思っていたけれどなかなか戻れなかった日々が続いていたため、久々に日本に下りた時は思わず涙がこぼれました。
最終的に4社からオファーを頂きましたが、それぞれの会社は全く異なるビジネスやビジョンがあるため、対策を行うのはとても大変でした。ただ、担当のメンターさんがとても献身的にサポートして下さいました。メンターさんは経験や知識が豊富で、いつも私に丁寧で明確な説明して下さり、本当にありがたかったです。ただ、自分の経験や興味をどのようにそれぞれの会社に当てはめて伝えるのか、ということはやはり難しかったです。
実際の選考期間は短かったですが、色々な感情で渦巻いていました。面接に自信があったにも関わらず落ちてしまった会社の人事の方からは「彼の性格が我々の求める人物像ではなかった。」と通達され、自分自身を否定されたような気になった時もありました。一方で、内定を頂いた会社の面接では質問が少々厳しく、面接官のリアクションもあまり無かったため自分が上手く答えられていたのか分からず、落ちたと思っていました。
最終的に4社中2社から内定を頂きました。内定を頂いた時はとても嬉しかったですし、「自分でも本当にやれるんだ!」と自信を付けられた瞬間でもありました。ASIA to JAPANのスタッフさんから私の性格や関心に合っていると勧められたことや、日本の大企業であること、会社のスローガンに惹かれたことで現在の入社先の会社を選びました。同じ面接会に参加した生徒さんの中で、私以外にあと2人も同会社に内定を頂きました。3人で一緒に入社できることはとても心強いです。
面接会では他にもたくさんの思い出が作れました。6月の面接会の期間中、イスラーム教の巡礼月の10日に行われる祝祭「イード・アル=アドハー」が重なっていました。その日は通常家族と過ごすものですが、今回は面接会で知り合ったインドネシア人でイスラーム教徒の友達と一緒に断食や礼拝の時間を過ごすことができ、楽しかったです。また、初日から仲良くなったマレーシアやルクセンブルクからの友達と毎回一緒にご飯を食べに行ったり、おしゃべりしたりして、良い思い出を作ることができました。最終面接前に企業カラーのネクタイを急いで皆で買いに行ったことも思い出に残っています。最終日のお別れパーティーもとても楽しかったですし、ASIA to JAPANのスタッフさんもとても明るくて優しかったので、本当に良い思い出で溢れています。
今後のビジョンとメッセージ
私は来年の4月から日本の農機メーカー企業の社員として日本で働く予定です。できることならずっとその企業で働きたいと考えていますし、将来はエジプトに支部を開いて、エジプトの農業に貢献できるような人材になりたいです。
また、将来的には日本の永住権や国籍取得も果たしたいと考えています。さらに、日本で小さい頃始めた空手をもう一度日本で練習したいです。
最近では日本語の本を読むことを通して、日本語を勉強しています。日本で暮らす上では漢字の知識は必要不可欠なので、フリガナが付いていない本を読むことで常に新しい漢字を知ることができます。また、本の内容も社会的知識を得られるもので、仕事や生活する上で足りていない知識や考え方を補うこともできておりとても良い勉強になっています。このように引き続き日本語の勉強も重ね、近いうちにJLPT N1の取得を正式に目指したいです。
もしFASTOFFER Internationalを通じて就職活動をしている生徒さんが見ているならば、全員の方に「安心して下さい。大丈夫です。」ということを伝えたいです。焦り過ぎず、慎重にプロセスを進めて下さい。そして時間通りにミーティングに参加し、期日までに手続きを進めることは忘れないでください。日本企業と面接をする機会を得られるとても良いチャンスなので、その機会を自分のミスで台無しにしたらとてももったいないと思います。また、ASIA to JAPANは私たちの人生を変えてくれる機会を下さる会社なので、スタッフさんを信じて頑張って進んで下さい。応援しています!