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言語と技術を武器に日本へ:インド人エンジニア就職ストーリー

内定先企業

物流システム、自動倉庫などを取り扱うマテリアルハンドリングメーカー

コンピューター工学を専攻しつつ、機械工学にも知見がある理系学生。卒業研究ではデジタルツイン技術(IoT)とMATLABを用いて太陽光発電所の分析システムを開発。数多くのインターンシップに参加し、Djangoを使ったSAP作成や、シーメンス社でのPowerBI用いたデータの可視化などを行なった。ソフトとハードウェア、どちらの開発にも興味を持つ多才な学生。

Profile

国籍・地域
インド
大学
プネ大学
学部
コンピューターサイエンス
最終学歴
学士

私のテクノロジーと言語への関心の原点 

子どもの頃、まだ家にコンピューターがなかった私は、叔父の家を訪れてはゲームをしたり、簡単なコーディングに触れたりしていました。ちょうどその頃、日本の技術的進歩を紹介するドキュメンタリーにも強く惹かれていました。今振り返ると、その時点ですでに「日本で働くインド人エンジニアになる」という将来像の原点が芽生えていたのだと思います。 

やがて自宅にコンピューターが来ると、私はインターネットを通じてさまざまな文化に触れ、日本の礼儀作法についても自然と学ぶようになりました。14歳のとき、近所の人に『NARUTO』を勧められたことをきっかけに、アニメに夢中になりました。吹き替えから字幕版へ切り替えたことで、日本語をより自然な形で吸収できるようになったのです。 

多くのインド人と同じように、私はサンスクリット語、ヒンディー語、マラーティー語、英語を学びました。さらに視野を広げるため、スペイン語、ロシア語、フランス語、アラビア語にも少しずつ触れ、異なる背景を持つ人々とつながる手段として使ってきました。 

こうした二つの関心「テクノロジー」と「言語」が、やがて「日本で働くインド人エンジニアになる」という一つの夢に結実するとは、当時は想像もしていませんでした。 

 

言語は可能性への扉 

私はテクノロジーと言語の両方を、継続して追求してきました。 

自分をポリグロットだとは思っていません。私にとって言語は、学問的に習得するものではなく、より良く人とコミュニケーションするための手段です。言語は文化の隔たりを埋め、ロボティクスにおけるプログラミング言語がハードウェアとソフトウェアをつなぐような役割を果たします。 

私は、成功の20%は技術力、残りの80%はコミュニケーション力だと考えています。誰一人として、独りで成功することはできません。日本が長期的な目標に向かって発展してきた背景には、個ではなく集団として力を結集する文化があると感じています。 

 

日本でインド人エンジニアとして働くことの魅力 

インドと日本の文化には共通点もありますが、際立った違いも存在します。その中で、私が特に強く惹かれた点を挙げたいと思います。 

チームとして動き、より大きな成果を成し遂げること 

共通の価値観や哲学、そして円滑なコミュニケーションを基盤として、日本では一つの目標に向かって協力することが自然に行われています。集団主義的な文化は、礼儀や謙虚さを育み、調和の取れた協働を可能にします。個人では成し得ない大きな成果を、チームとして実現できる点に魅力を感じました。 

人生と仕事における核となる価値への忠誠心 

日本人は他者への忠誠心だけでなく、自らの誠実さにも強い価値を置いています。その精神は武士道に由来し、現代の企業社会や公共の場にも受け継がれています。『NARUTO』に登場する忍たちが象徴するように、日本のポップカルチャーにも、使命感や共有された価値観が色濃く反映されています。 

個人として仕事に意味を見出す姿勢 

この考え方は、個々人にも表れています。東京出身の60代の日本人の友人は、今も救急車の運転手として働いています。彼はその仕事に生きがいを感じているからです。仕事と私生活を切り離すのではなく、「何をするか」だけでなく「なぜそれをするのか」を常に問い続ける姿勢に、私は深い尊敬の念を抱いています。大学卒業後、仕事は人生の大きな部分を占めます。だからこそ私も、日本人のように、本当に価値のあることに時間を使いたいのです。 

完璧を追求しながらも、向上心を失わない謙虚さ 

ある日本人芸術家は、名匠と呼ばれるたびに「あと5年かもしれない」と答えていたそうです。5年後にはまた「さらに5年だろう」と言い、日々研鑽を積み続けました。95歳で亡くなる際には、「もし千年生きられたなら、ようやく達人になれたかもしれない」と語ったといいます。その姿勢に、日本的な美徳が凝縮されていると感じます。 

 

日本語とAIの学習:日本で働くインド人エンジニアへの道 

大学2年生のとき、FAST OFFER Internationalが日本での就職に関するオリエンテーションを行いました。私は迷うことなく参加を決め、同期の中で日本語学習に挑戦したのは私一人でした。幸運なことに、日本語クラスでは同じ志を持つ仲間と出会うことができました。 

2年間、日本語を学び、JLPT N5からN3へと進み、現在はN3の結果を待っています。決して平坦な道のりではありませんでした。就職活動に進むためには、日本語クラスの先生による模擬面接に合格する必要がありましたが、最初は発音が不十分で不合格となりました。JLPT N3のクラスも2回受講しました。パンデミック中のオンライン授業は特に大変でしたが、こうした困難があったからこそ、与えられた機会への感謝の気持ちが一層強まりました。 

日本語学習のアドバイス:好きだからこそ続ける 

日本語に限らず、言語学習は時に困難です。しかし、日本語や日本文化への純粋な愛情を持って学ぶことで、その過程はより楽しく、続けやすいものになります。 

 

FAST OFFER Internationalでの就職活動:目標設定 

模擬面接に合格後、私はキャリアアドバイザーを担当として紹介されました。彼とキャリア目標や興味について話し合い、最適な就職先を見つけるための戦略を共有しました。その最初の面談で、彼はすでに「この会社が合うはずだ」という明確なビジョンを持っていました。 

 

無料で日本へ飛ぶチャンス 

数か月後、3社から面接の招待を受けました。その中には、アドバイザーが想定していた企業も含まれていました。3社から声がかかったことで、日本での対面面接のための1週間の渡航費支援を受けることができました。 

しかし喜ぶ間もなく、パスポート取得とビザ申請という大きな課題がありました。パスポートを受け取ったのは前月末で、ビザ取得まで残された時間はわずかでした。今思えば、企業研究に没頭していたおかげで、日程が危うく重なっていたことに気づかずに済んだのだと思います。出発2日前にビザが承認されたとき、ようやく胸をなで下ろしました。 

 

経験豊富なメンターから学ぶ、日本式面接 

FAST OFFER Internationalで特に印象的だったのは、メンター制度です。私のメンターは、日本企業で数十年働き、V6やV8エンジンを設計してきた方でした。彼に会えたことは、私にとって憧れの人物に会うような体験でした。 

彼は日本自動車技術会(SAE)の委員も務めており、大型車両や電気自動車、F1タイプの車両など、専門分野ごとに分かれたクラブで活動していました。私も3か月間、地域支部の活動に参加しました。 

これほど高い専門性を持つ方から無償で指導を受けられたことは、信じられないほど幸運でした。中でも印象に残っているのが「逆質問」です。これは、面接官に対して本気度や思考力が伝わる質問を投げかけることです。模擬面接と丁寧なフィードバックは、私にとって大きな財産となりました。 

 

初めての日本 

日本滞在中は面接が詰まっており、ほとんど眠れない日もありました。それでも、日本の素晴らしさを存分に感じることができました。映像で見ていた日本は、現実でもそのままでした。人々は本当に謙虚で親切でした。エレベーターを開けて待っていただけで、何度も深くお辞儀をされることもありました。街は驚くほど清潔で、車のクラクションを聞いたのは一度きりでした。忙しい大都市でありながら、静けさと秩序が共存している光景に、心を打たれました。 

 

面接を通して学んだこと 

3社中2社で「柔軟性」について質問されました。私はどちらにも正直に答えましたが、ある会社はそれを弱みと捉え、別の会社は強みとして評価しました。自分に正直でいることが、自分に合った会社と出会うために重要だと実感しました。 

 

キャリアアドバイザーのビジョンが現実に 

最後の面接が終わり、ASIA to JAPANの本社でキャリアアドバイザーと話していると、スタッフの方が入ってきて内定の知らせを伝えてくれました。それは、まさに彼が最初に思い描いていた会社でした。ホテルの部屋で一人になったとき、喜びと安堵が一気に込み上げてきました。母や友人に電話をし、すでに日本にいる友人とも喜びを分かち合いました。その夜は、日本料理でささやかな祝杯をあげました。 

 

会社見学:日本での未来を思い描く 

翌日は新幹線で会社の施設を訪れ、製品や広大なソーラーファームを見学しました。寮や各部署の説明を受けましたが、見られたのは全体のほんの一部でした。再び戻ってくる日が、今から楽しみです。 

 

仲間から成功例へ 

JLPT N3のクラスは7人という少人数で、全員が日本で働くインド人エンジニアを目指していました。すでに6人が内定を得ています。残る1人も、きっと時間の問題でしょう。私たちは失敗も含め、すべてを冒険の一部として受け入れてきました。粘り強さと仲間の存在が、成功へと導いてくれたのです。 

 

日本での生活に向けて 

内定後、FAST OFFER Internationalのビジネス日本語クラスに参加しています。敬語や実践的な会話を学び、実際の仕事に備えています。 

 

グローバルエンジニアとしての未来 

日本でのキャリアを通じて、私は世界とつながるエンジニアになりたいと考えています。日本の競争力ある技術環境で、これまで学んできた言語を生かし、世界中のクライアントと関わることが楽しみです。富士山をはじめ、日本各地をインド人の友人たちとバイクで巡る日を、今から心待ちにしています。 

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インドネシアのバンドン工科大学で管理工学を専攻。最終論文では、太陽光エネルギーの会社でのビジネスプロセスの分析を研究している。QMSやGap Analysisを用いて、データ収集からインタビューの実施、分析をし会社の優位性を高める事に貢献。SOLIDWORKS, PythonのITスキルもあり。日本語での面接が可能。現在、UI/UXのコースなども受講しており、好奇心の強い方。

機械工学専攻を卒業し、日本語力の高いインド人材。卒業後に現地の粉砕機メーカーで設計エンジニアとして2年間の就業経験がある。SOLIDWORKSやCATIAを用いて設計業務に携わってきた。卒業研究では、高圧ダイカスト(HPDC)金型の製造プロセスについての研究を行なわれた。即戦力として期待できる。

小さい頃から日本で働く夢を持ち続けた筆者は、独学で日本語を学び始め、高校時代に勉強時間を確保しながら語学力を高めました。FAST OFFERの無料日本語授業に参加し、体系的に学習したことで、日本企業の面接にも成功。エンジニアリング分野での最終学年プロジェクトを通じて、日本でのキャリアが最適だと確信しました。10月から日本の自動車メーカーに入社予定で、今後も日本語力や技術力を磨きながら成長し続けたいと意欲を語っています。