FAST OFFER internationalとの出会いで日本語学習を再開する
そもそも私が日本語を勉強し始めたのは、高校生の時でした。その当時、アニメをよく見ていたので、日本語という言語にすごく興味を持っていたのです。高校の授業で6カ月間ほど、日本語を勉強し、N5合格を目指していました。しかし、大学に入るとエンジニアの勉強が忙しくなり、日本語の勉強を辞めてしまいました。実は私が大学で機械工学を専攻した理由は、日本のアニメ「ドクターストーン」で技術や科学の分野に興味をもったためでした。そして、機械工学を学ぶことで将来日本で働くチャンスも広がるのではないか、とも考えていました。
再び日本語を学び始めたのは、FAST OFFER internationalの広告がきっかけでした。ある日、ベッドの上でインスタグラムを眺めていたらインドネシア大学の日本語授業プログラムの広告が目に留まりました。そこから、FAST OFFER internationalを検索して「私も日本で働けるかもしれない。日本語をもう一度勉強しなければ!」と決意したのでした。
そこから、インドネシア大学のオンライン日本語授業に6カ月間参加しました。その後、FAST OFFER internationalのスタッフとの面談を受けました。私は、日本語の会話力が、日本語で面接できるレベルになるまで、辛抱強く日本語を勉強しました。日本語の言葉をパソコンを使ってタイピングすることで、自分の体と視覚を使って、面接で役に立つ語彙をたくさん覚えることに成功しました。そして、ついに、日本企業の面接に参加できることになったのです。
FAST OFFER internationalの助けで日本で夢の仕事を手にする
僕は、日本企業4社とオンラインで面接することになりました。面接では、私の性格や卒業論文プロジェクトについての質問に日本語で答えました。FAST OFFER internationalのメンターと繰り返し練習したので、うまく答えることができました。そしてインタビューの終わりに、面接官は会社について不安なことや疑問点について私に尋ねてきました。面接の中で、企業側からも私について興味を示してくれたことで、その企業についてポジティブな印象を持ちました。そして、無事、その会社から内定をもらうことができました。
実は、私が内定をもらった日は22歳の誕生日でもあったのです。このことは、一生の中で一番の思い出となりました。
夢見ていたデザインエンジニアとして日本で働くことに
私が目指していた職種は、デザインエンジニアと呼ばれ、プログラミング言語を使って設計プロダクトを設計し、実際に商品にする仕事でした。インターンシップや卒業プロジェクトを通し、私は Python, MATLAB, AutoCAD, SOLIDWORKS等のプログラミング言語に経験があり、プロダクト設計は私の得意分野だったのです。日本にはインドネシアよりも、デザインエンジニアの機会が多くあふれていて、待遇も良いです。実際に内定をもらった会社では、念願のデザインエンジニアとして働くことに決まりました!
このチャンスを無駄にせず、日本で長く、エンジニアとして働き続けたいです。私の父は、一つの会社で定年まで勤めあげました。私の人生の大切にしている価値観の一つに、忠実であることがあります。日本の終身雇用制度は、私の価値観にぴったりです。ご縁があってこの会社に入ることができたので、この会社で一流のエンジニアになりたくさん貢献したいです。