インドの学生が語る日本での就職体験:成功への道のり

内定先企業

移動式建設用クレーン、車両搭載型クレーン、高所作業車を開発から製造、販売、アフターサービスまでを自社で一貫して提供

インド出身の学生が日本での就職に挑戦し、その過程で経験した日本語学習、面接の挑戦、日本文化への感銘について語る記事です。彼の物語は、日本でのキャリアを築くための情熱と努力を強調し、インドの学生に対するインスピレーションを与えます。

Profile

国籍・地域
インド
大学
クマラサミー工科大学
学部
電子通信工学
最終学歴
学士
日本での就職 インド人学生 日本語学習の経験 面接の挑戦 日本文化への感銘

日本での就職に興味を持ったきっかけ

私は日本の仕事文化に強い憧れを抱いています。先輩たちとの会話を通じて、日本人が意思決定において慎重な姿勢を称賛するようになりました。

代替戦略を含めた徹底的な計画立案へのこだわりに共感します。彼らは責任感が強く、期限を厳守します、この卓越性への献身こそが、日本の労働市場での機会を追求する私の情熱を燃え上がらせます。

日本語学習の経過

私は大学で電子通信工学を専攻しています。

大学2年生の時に日本語の勉強を始め、そこから様々なレベルの日本語能力試験に進みました。N5、N4、N3を順調に合格し、今はN2の習得に向けて積極的に取り組んでいます。

 

日本語はどうでしたか?

日本語の学習は非常に挑戦的でした。特に漢字の複雑さには苦労しました。しかし、意外と親しみやすい部分もありました。英語と日本語の文法構造は大きく異なりますが、日本語といくつかのインドの言語、特に私の母語であるタミル語との間に類似点を見つけました。このつながりにより、受け身形などの特定の文法パターンが理解しやすくなりました。

しかし、漢字の習得は私の文化背景には全く新しい概念であり、大きな障壁となりました。さらに、語彙の暗記も継続的な課題でした。これを克服するために、毎日の復習を心がけました。漢字が似ている場合でも、その意味や使い方を見分けるのは難しいことが多く、継続的な努力と練習が必要です。

 

会話の練習について

正に、話すことには独自の課題がありました。同じ単語を発しても、インド人と日本人の発音の微妙な違いが際立ちました。その結果、リスニングの理解は大きな課題となりました。質問を理解することは半分の戦いに過ぎず、本当の挑戦は日本語の会話を理解することにありました。この課題を克服するために、ASIA to JAPANチームによる厳しい練習セッションに参加しました。

献身的なメンターの指導の下、頻繁に会話を行い、私の回答は丁寧に修正されました。メンターからの建設的なフィードバックは非常に価値があり、その優しい指導により、私の回答が日本のコミュニケーションの規範に沿うように改善されました。ASIA to JAPANのサポートと指導のおかげで、特に面接の場での日本語の会話と聴解のスキルを磨くことができました。このようにして、私は面接に特化した日本語の習得に集中しました。

 

面接結果

緊張していたとは言えませんが、外国での新しい経験として、面接のプロセスには確かに興味がありました。1日に6社との面接は非常に挑戦的で大変でした。朝から夕方まで、面接の渦中にあり、常に気を張っていました。各企業が独自の質問をしてきましたが、最も一般的な質問は「なぜ日本で働きたいのですか?」というものでした。しかし、私が最も興味を持ったのは、面接官の微妙な合図や表情でした。彼らは、私の回答を単に言葉だけでなく、言い方や態度からも評価しているように感じました。

各企業の独自の期待に合わせて回答を調整することが鍵でした。幸いなことに、6社中3社の一次面接を通過することができました。私は各面接に情熱とエネルギーを持って臨み、企業の理念や要件に合わせて慎重に回答を準備しました。興味深い経験でしたが、挑戦も少なくありませんでした。

最も困難なことの一つは、カジュアル日本語と丁寧な日本語の使い分けでした。特に面接の場でこれらを自然に切り替えることは非常に難しいタスクでした。友人や同僚とのカジュアルな会話から、面接のための敬語への移行には意識的な努力が必要でした。しかし、それも挑戦の一部として受け入れました。

最終的には全てがうまくいき、受け入れられました。これは新しい未知の状況に対する準備と適応の重要性を教えてくれた貴重な経験でした。

 

インドでも就職活動をしたことがありますか?

私は日本での機会を追求することに焦点を当てていましたが、これは私の夢でもありました。しかし、大学の義務を果たすためにインドでの就職活動にも参加するように勧められました。渋々ながら参加し、その中の一つで職を得ることができました。しかし、心は日本に向いていて、ASIA to JAPANのサポートを受けて日本の二つの企業の面接を無事に通過しました。

日本での面接は、私にとって2回目の訪日でした。前年の9月には留学生として来日したことがありました。一週間の滞在中にさいたま市を探索し、プレゼンテーションを行い、東京の高校生とも交流しました。非常に充実した経験でした。

訪問中には日本の気候の両極端を体験しました。9月の猛暑と面接時の厳しい寒さです。タミル・ナードゥ州、インドの南部出身である私は、暑い夏には慣れていますが、日本の冬に対処することは新たな挑戦でした。

 

大学で学んだ科目と仕事との関連は?

入社予定の会社のチームと話し合った限りでは、私は研究開発の役割を担うことになりそうです。これは私の学歴、特にアンテナやRF技術に焦点を当ててきたことと一致しています。

私が在学中に取り組んだプロジェクトは、レーダー・システムに直接関連するものでした。大学で得た知識と技術、特にアンテナ設計とRF技術は、私が携わるプロジェクトにそのまま応用できます。従って、私の学問的専門知識は会社のニーズに適していると思います。

 

日本について予想外に興味深かったこと

最初に私を驚かせたのは、日本の人々、特に年配の方々の並外れたおもてなしと謙虚さでした。彼らの真心からの温かさと謙虚さは本当に心温まるもので、私に強い印象を残しました。グループ写真を撮る際に、年配の先生が私たちと一緒に座ってくださったことには驚きました。これは、教師がよりフォーマルな態度を保つ傾向にあるインドではあまり見られない光景です。この予想外の優しさの表れに感動し、日本文化への敬意が一層深まりました。

また、日本の技術革新は私の想像を超えていました。日本の最先端の技術と未来的なインフラには驚かされました。日常生活における技術のシームレスな統合、そして人々の時間厳守と誠実さには大変感銘を受けました。これらの要素—時間厳守、謙虚さ、誠実さ、そして技術力—の組み合わせが、私が日本に魅了され続ける理由です。

 

滞在中は東京を探索

すべての面接は秋葉原で予定されていました。秋葉原はその活気あふれる雰囲気で知られる地区です。タイトなスケジュールの中でも、私は時間を見つけて周辺を散策しました。特に印象的だったのは、土産物屋を探している途中で出会った魅力的な中華ショップです。秋葉原のそびえ立つビルや賑やかな通りは、初めて外国の地を探索するような感覚を呼び起こし、私に強い印象を残しました。

ある日、上野市場に出かけ、上野町通りで熱々のラーメンを楽しみました。ラーメンの風味は堪能しましたが、私の心はやはりうどんにあります。それでも、市場のエネルギッシュな雰囲気に浸り、本格的な日本料理を味わう経験は本当に忘れられないものでした。

 

ユニークな経験

東京の企業の二次面接中に特に印象的な出来事がありました。面接に参加していたとき、突然私のノートパソコンの電池が切れそうになりました。面接パネルの半数は対面で、残りのメンバーはオンラインで参加していたため、私は非常に危険な状況に置かれました。

急いでFAST OFFERのチームに連絡し、ノートパソコンの充電器をお願いしました。しかし、彼らは面接のオンライン部分を知らず、充電器の必要性を予期していませんでした。面接の途中でノートパソコンが突然シャットダウンし、パニックの波が押し寄せました。

そんな中、クルーメンバーの一人が迅速に助けに来てくれました。彼女は自分のノートパソコンとヘッドフォンを提供し、彼女の機器を使って面接を続けることができるようにしてくれました。彼女の自己犠牲と迅速な対応は本当に素晴らしく、彼女の助けに深く感謝しました。

残念ながら、彼女の努力にもかかわらず、その面接は合格できませんでした。それは私の第一志望の会社だったため、失望しました。しかし、メンターやASIA to JAPANのスタッフのサポートは非常に貴重でした。彼らは安心感と励ましを与えてくれ、次のチャンスに集中するように思い出させてくれました。

その会社で職を得ることはできませんでしたが、クルーメンバーの親切とサポートの記憶は大切なものとして残っています。これは、ASIA to JAPANコミュニティの中にある仲間意識と共感の証であり、私にとって忘れられない経験です。

 

あなたの大学には日本語を学ぶチャンスがありますが、もしインドの他の大学にも同じようなチャンスがあれば、学生はもっと日本に来ると思いますか?

その可能性は十分にあります。多くの中流階級の人々にとって、外国での仕事を確保し、より高い収入を得る事は強い魅力を持っています。しかし、金銭的な利益だけでなく、日本にはかけがえのない経験を得る機会があります。新しい土地を探検し、異文化に浸り、新たな挑戦に立ち向かう魅力が、学生を日本に惹きつけるのかもしれないと感じます。

インドでは、学生は特に工学の分野で厳しい学問的訓練を受けます。工学部の学生は常に研究室での作業やその他の学問的な探求に没頭しており、長期休暇を楽しむことはめったにない。このような献身的な姿勢と労働倫理が、間違いなく日本企業に評価されるような技術的に熟達した人材を生み出すのです。

したがって、もしインドの他の大学が日本語を学ぶ同様の機会を提供するのであれば、日本での可能性を追求したいと思う学生はまだ相当数いると思います。その魅力は、専門的な成長の見込みだけでなく、視野を広げ、新しい経験を受け入れるチャンスにもあると思います。

 

日本で仕事を探そうとした友人はいますか?

はい、日本での就職活動も積極的に行っている友人が何人かいます。また、私の後輩の間では、日本での就職を目指して日本語を勉強することに関心が高まっています。私たちの大学には日本語クラスがあり、日本語を学ぶのに便利です。

さらに、日本への交換留学プログラムに参加した後輩もおり、日本での就職への関心をさらに高めています。日本での生活や勉強の実体験は、彼らの心に深く刻まれ、日本でのキャリアを追求する意欲を高めています。全体として、私の同期や後輩たちの間には、日本で働きたいという熱意が感じられます。

 

将来の計画

私の計画は、できるだけ長く日本でキャリアを築くことです。会社の成功に貢献し、日本が提供するプロフェッショナルな機会に没頭したいと思っています。日本での仕事に専念する一方で、会社が許せば、他の国への出張の可能性にも前向きです。

しかし、私の一番の関心は、会社のある香川県での職務にあります。香川はうどんがおいしいことで有名で、9月の交換留学で訪れたCoco壱番屋で実際にうどんを食べることができました。ですから、ときどき旅行することは大歓迎ですが、私の心とキャリアの願望は日本にしっかりと根ざしています。

 

将来の学生へのメッセージ

私の学生仲間へのアドバイスは、特に失敗に直面しても、決して希望を失わないことです。すべての挫折は成功への足がかりです。私自身、2つのオンライン面接で失敗したときにこのことを経験しました。あきらめるのではなく、粘り強くチャンスを求め続けました。その結果、最終的に2社から内定を得ることができました。失敗は人生の自然な一部であり、それで自分が決まるものではないということを忘れてはいけません。自分の欠点にこだわるのではなく、そこから学び、成功に向かうモチベーションにすることに集中してください。

だから、困難や挫折に直面しているすべての人に、弾力性を保ち、前進し続けることを強く勧めます。必要なときにはサポートを求め、忍耐の力を過小評価しないでください。あなたの決意と努力は、やがてあなたを望むゴールへと導いてくれるでしょう。それが、私が何を必要としているすべての人に伝えたいメッセージです。

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